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- 鍛冶屋敷村(近世)とは
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鍛冶屋敷村(近世) 江戸期~明治8年の村名会津地方中部,阿賀川(大川)の東方に位置する会津郡のうち会津藩領高久組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では75石余,文化15年の村日記(県史10下)では70石余,「天保郷帳」79石余,「旧高旧領」65石余村名は,康暦元年に蘆名直盛が鎌倉より下向した時,多くの鍛冶職人が当地に居住したことよるという化政期の家数10軒(新編会津)当村には金屋神という鍛冶の書が伝えられた(同前)明治4年の戸数9・人口60(若松県人員録)同8年深川村・幕内村・柳原村と合併して南四合村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」